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今日引越し!

今日、千葉のほうに引っ越します。
ついさっき、ダンボール二箱を会社の寮にゆうぱっくで送りました。
なんとその郵便局では幼馴染と再開しました。
なにやらあやしい様子だったので問いただしてみると、履歴書を手に持っていました。
・・・・・お互い大変だ。

そして僕自身は、高速バス2900円で東京へ5時間かけて移動。
午後1時出発、東京着は6時半の予定。
寮の到着は7時半ごろだろうか?
手荷物は大きいボストンバッグと、ナップザックと、釣りの竿入れ。
竿入れの中には、実は居合い刀と木刀が入っている。
この長い袋が、結構うざい。

旅をしていたときは、毎日毎日新しい環境になることに
何も感じなかったのに、今日は、なぜだか緊張する・・・・。
もっと心も軽く、体も軽くならなくては!

何はともあれ、花の東京ぐらし(千葉ですが)。
きっといい事あるさ!
がんばるぞ!!

千葉の方、東京近辺のかたがた、遊んでください!
よろしくお願いします!

武勇伝??

今日、パソコンデータの整理をしていたら、以前某SNSの某コミュの武勇伝トピに書き込もうかと思って書いてあった文章を見つけた。そのときは、さすがにこれはまずいから書けないだろうと思ったのだけど、ま、自分の日記に書くのならいいでしょ。
 注1 良い子の皆さんは絶対に真似しないでください。
 注2 事前の情報収集はきっちりとやり、危険地帯は避けましょう。


アフリカのケニア=エチオピア国境を旅していたとき、ケニア北方のゲリラが多発する危険地域を迂回して、無事にエチオピア国境にたどり着いた。
安全地帯にやっとたどり着いたとぐっすり眠った記憶がある。
ナイロビからここまで、普通1泊2日でつくところが3泊4日かかった。
本当は、ここもおもしろい話があるのだが、これはまた別の話。

国境の村からエチオピア側を西へ行けば、裸族の住んでる地域がある。
そこに行ってみたいと思った俺は、公共交通機関を探した。
しかし、そんなものはないので、トラックをヒッチハイクすることになった。
このトラックは地元の人々の貴重な足となっているようで、ヒッチハイクといっても、お金は払わなくてはならない。
まあ、バスの代わりみたいなものだ。
とうもろこしを積んだ荷台に、現地の人たち20人ぐらいと一緒に乗った。
おんぼろトラックは、故障で止まり止りしながら、埃っぽい舗装もされてない道を、のんびりと進む。
3時間で到着するといわれた村に、5時間たっても着かない。
トラックの進行方向を向くと、埃っぽい道路の向こうに大きな真っ赤な太陽が、地平線のほうへと近づいていた。

すると、土煙の彼方から夕日をバックに、1台のジープが迫ってくる。
そして、われらがトラックの前500mで停車した。
「故障かな?」と思ってみている俺達。
そのうちにも、われらがトラックは、のったりのったりと進んでいく。
トラックがそのジープの目の前まで来たとき・・・・・・
手に手に小銃を持った男たちが7人降りてきた!!
まず一人がトラックの正面に立ち運転手に照準をつける。
トラック停止。
荷台のほうに来た一人が、銃を荷台の上にいる俺たちに向けて何か叫ぶ。
現地語なのでなにを言ってるのかわからないが、降りろということだろうと見当をつけて下りる。
すると、さらに威嚇するように、一人一人に銃を向けて何か言ってくる。
離れろということだろうと、距離をとる。
その男の手にした銃が、左から右へとゆっくり動いていく・・・・
・・・・・・・・・・止まった。
そう、黒い金属製の銃口がまっすぐ俺を向いている。
周りを見渡してみれば、この現場にいる中で、黒人じゃないのは俺一人。
俺も真っ黒に日焼けしているが、そういう問題ではなく、ものすごく目立つ。
俺が一番怪しい人物か??・・・・。
この瞬間、俺の頭はすばやく回転した。
「どうやって逃げよう?」
「こんな身を隠す障害物のあまりないところではだめだ。」
「あいつが引き金を引く瞬間に体捌きで玉をよけるか!!」
「モリヘイかお前は・・・?」
「いや、それよりも処刑する前には意識もそれるだろうから、あいつをやるか?」
「だめだ、サポートが10m離れたところにいて銃を構えているからだめだ。」
「いやいや・・・・」と、取り留めなく頭の中では
考えが駆け巡る・・・・・で、最終的に打てる手はなにか・・・・
「笑顔しかない!」
と、わが人生最高の笑顔を(引きつっているだろうが)浮かべた。
それが効いたのだろうか?銃口はそれた。

その後、状況説明をゲリラの人間が英語でしてくれた。
襲われた側は誰も英語が話せず、ゲリラしか英語が話せなかったのだ。
「邪魔して悪いね」といってきた。
俺も「No problem」と言う言葉がのどまででかかったが、
やはりproblemだと思ったから、その言葉は飲み込んだ。
「俺たちは政府と戦っているのであるから、旅行者は襲わない!」
というポリシーを持っていたゲリラで助かった。
その上、東洋人は珍しいらしく、俺はゲリラにもてた。
荷物をあさり物資調達を終えて、意気揚々と引き上げるゲリラたちは、
俺に笑顔で手を振ってきた。
俺も、笑顔で彼らに手を振った。
ただ、俺の隣では、せっかくケニアから密輸して来た衣類を奪われた、関取のようなおばちゃんが、ウェーンと、声を出してないていた。

これが、俺の一番の武勇伝です。
ゲリラの活動範囲を見誤ったのが敗因でした。
だれだよ、エチオピア側なら安全だって教えたの。
生きてて良かった。

就職活動と恋愛

今日になって、大手の会社から面接の話が来た。
おせえって。
大手は動きが遅い。
どうすべい・・・。
って、もう引越しの準備万端整えちゃってるんだけどさ・・・・。

ま、恋愛みたいなものだ。
後に自分の好みの美人が来ると分かっていたら、
今目の前にいる人を選ばないかもしれない。
でも、それは人である僕には分からない。
目の前にいる人でいいと思えるのであれば、
やはりその人を選択するのが正しい選択ではないだろうか。
でも、後で美人が来たときには・・・・・ちょっと心が揺れる・・・・。

ま、人生そんなもんさ。

陳家溝

ひまじゃ。
引越しの準備から逃避して、今、パソコンの前で「ひまじゃ」と叫ぶ、だめな俺。
だめついでに、陳家溝の写真をアップしてみることにした。

陳家溝とは、陳式太極拳の発祥の地。ここで陳式太極拳が生まれ、育ったのだ!やはりそれを練習している僕としては、行ってみたい地。なので、2007年に行って来た!
大きな荷物を持って、村に降り立つと、そこにはかなり大きな門が建っている。中華街の入り口にあるようなやつだ・・・。陳家溝は田舎で道も舗装されていないと聞いていたのだが、ここ10年でかなり発展したらしい。かなり大きい舗装道路村の真ん中を走っている。かなり村が潤っているように見える。どうやら、太極拳を指導することによる収入も馬鹿にならないぐらいに多いそうだ。

目の前に見えた某学校の一つに適当に、リュックを担いだまま入ってみる。おっかなびっくり話しかけてみると、校長の前に通されて、「どのぐらい習いたいのか?」ときかれる。俺は「いや、まずは見学したい。泊まるところはないか?」といってみたら、「この学校の寮に一泊180元で泊まれる。」と回答された。180元ってあんた2700円だよ。高いだろー!いくら外国人だからってなめんなよ!!ちゅー事で、自分で探しますといって探した宿が「拳旺客桟」。大通りからわき道に10mほど入ったところにあります。大通りの電柱に看板が出ているしすぐに見つかりました。写真の部屋で一泊10元(150円)。比較的清潔だし、テレビも付いてました。シャワートイレは共同ですが、なあんの問題もありません。鍵もしっかりかかります。ここには長期滞在のイタリア人女性と韓国人男性が住んでいて、ここから各々の学校に通っていました。早速の友達ゲットってことです。韓国人男性(陳家溝での修行2年半)はつれない感じでしたが学校を紹介してくれたし、いろいろ他の報もくれました。片やイタリア人女性(半年滞在)とは仲良くなって、滞在中には一緒に食事に行ったり、街に買い物に行ったり、学校見学に言ったりと、楽しく遊ぶことができました。異国の地で、やはり異国からきた人間というのは仲良くなりやすいものです。

とりあえず、街の観光をしてみる。これまでの陳家の人間の石碑が建っている場所がある。發科の石碑を見たときには少し感動した。石碑の後ろには事跡が細かく書かれているのだが、何せ漢文なもので(いや、中国語というべきか?)、読もうとしたらくらくらめまいがした。ほかに見所は楊露蝉が練習したといわれる家とか、陳家を祭ってある廟とか、そんなものかな。後者二つは、お金がかかるから入るのやめ、外から覗いて終わり。興味なし。街の中を歩いていたほうが面白い。
メインの通りは舗装されているが、裏通りに入れば舗装されていない。てくてく歩いていると、陳式の学校もいくつか見つかるし、趙堡太極拳の学校まで陳家溝の中にあった。まあ、この趙堡太極拳の学校は、学校といっても個人宅の庭で教えているだけのものだったのだが、逆に、こういうところで先人達は稽古してきたのかと、感慨深いものがあった。ここでは、許可を得て、夜の練習を見せてもらった。昼間は陳式を学び、夜はここに来て趙堡式を学ぶ生徒も多いそうだ。この先生は、僕にとてもよくしてくれ、この方のおかげで、陳家溝滞在がとても有意義なものになった。習いもしない僕に親切にしてくれて、ありがとうございました。
ほかの陳式の学校も、いくつか見て回ったけど、それぞれ味がある。が、いえることは、小さい学校ほど対応が丁寧。大きい学校でぞんざいに扱われるよりも、小さい学校で一番偉い先生から直接丁寧に指導されるほうがいいんじゃないかな?例のイタリア人女性は俺に愚痴ばっかり言っていたもの・・・。曰く、高いお金を払っているのに中国人のほうを大事にする。曰く、指導教官がころころ変わり、其の度にやることが変わる。套路の構成まで変わるので混乱する。等等・・・。彼女は一月800ドル以上を学校に納めているそうだが、そこの学校の中国人価格は800元(1万2千円)。それで、中国人のほうを大事にしたら怒るよな・・・・。彼女は何も考えずに、某学校に入ったらしいので、他の学校と比較していない。だから、俺がいろいろ学校を見ていると聞いて、彼女はずいぶんと刺激を受けたらしい。俺が滞在しているうちに、彼女は韓国人の紹介で陳一族の一人に個人教授をしてもらうことになっていた。まあ、結局のところどの先生に当たるかが大事だと思うのだけど、勝手に指導教官を変えられるようなところはいやだよねー。あと、小さい学校のほうが、月謝が安め。といっても月に$400ぐらい。まあ、大きい学校の半額というところか。しかし、$400って、中国農民の月収はるかに越えてんじゃん。とりすぎだろ!っておもうけど、ま、商売だし、習いに来る人もいるのだろうから、まあ、いいか。中国人練習者だって、深センや上海から、仕事の長期休暇をとって習いに来ている人がいたりしてびっくり!太極拳ビジネス真っ盛りって感じで、興味深く陳家溝を拝見させていただきました。でも、こうやって自分達にできることを利用して田舎が発展するっていう事自体は、悪いことでは有りません。田舎物の僕は、そう思います。

とある日、趙堡鎮まで行ってみることにした。陳家溝の住人に聞いても、最初は「趙堡鎮なんてないよ。」とか「行き方なんてしらない。」とか言って来る。おいおい・・・・でも、中には親切に教えてくれる人がいて、歩いていって見ることにした。俺の脚で1時間ちょっとか?。両側に畑の広がる道を3分の2ほども来たときに、後ろからスクーターが来て止まる。先日趙堡太極拳の学校で知り合ったおじさんだ。どこに行くのかと問われるので、趙堡鎮といったら、うしろに乗せて連れて行ってくれた。しかも其のおじさん、和式を昔習っていたというので、学校に連れて行ってくれたり、伝人のおじいさんを紹介してくれたり(いくつか系統があるようです)、若手に命令して演武させてくれたりした。最後にそのおじさんの演武も見せてもらいましたが、とても素敵なものでした!

そして数日が過ぎ、一通り学校も見て周り、街の中では太極拳の練習しかすることがなくなった頃、陳家溝を出ることにした。表面だけ、さらっと触れた陳家溝滞在でしたが、どういう雰囲気の村なのかをを知ることができたのはとてもうれしいことでした。最後の出発の朝、俺お気に入りの雑穀粥と肉まんの朝食をとり、バスに乗って出発!

これから陳家溝と聞くたびに、あの土ぼこりの舞う畑を思い出すのかな・・・・
きっとそれが一番の収穫なのだろうと思います。

ちゃんちゃんっつうことで。
写真をアップするだけのつもりがいろいろ書いちゃいました・・・。

DSC02991.jpg
一枚目は、村にある石碑。「始祖」の字が読み取れますね。

DSC03083.jpg
二枚目は、拳旺客桟。俺が泊まっていた宿です。

DSC03084.jpg
三枚目は、村での俺の朝飯。これで100円以下です。ぶらぼー。

猫之妙術

猫之妙術ってご存知ですか?
僕のところには中国武術関係者がくることが多いので、
紹介という意味でタイトルだけ乗せてみました。
僕の今までの経験では、中国武術関係者って、あんまり日本の武術の
資料とか読まないみたいですもんね・・・。


この本はもともとは1727年、関宿藩家臣・丹羽十郎左衛門忠明『田舎荘子』の
小説だそうです。剣術の極意所とも呼ばれていて、味わい深いものです。時間が会ったらぜひ読んでみてくださいね!
いま、1時間ぐらいかけて、ここに文章でも載せようかと思ったのですけれども、
断念しちゃいました。
ググれば、何件か引っかかりますよ!
原文のほうが味があります。
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